02

 あれからどれくらい眠っていたのだろう。頭痛に強い吐き気を感じて、私は目を覚ました。

「大丈夫か?」

 体を小さく丸めたまま目を開けると、そこは知らない部屋。どうやら私はベッドの上に寝かされているらしい。すぐそばにはお兄さん、スコッチが心配そうに私を覗き込んでいる。今も優しく背中を摩ってくれているのは彼の大きな手のひらだ。

「もう安心していい。ここは俺たちのセーフハウスだから」

 セーフハウスと言われてもう一度部屋を見渡してみると、ログハウスの一室なのだと分かった。もう、朝なのか、明るい日差しが部屋に差し込み小鳥の囀りも聞こえてくる。

「起きられるかい?」

 スコッチに手伝ってもらいながら体を起すと、足元の方にバーボンがいるのに気づいた。彼は窓の外を伺いながら、時折スコッチの方を気にしている。

「水、飲んだ方がいい」

 ペットボトルを差し出されるけれど、私は受け取れないままぼーっと一点を見つめていた。頭がぼんやりとしていて少し気を抜けば眠ってしまいそうだ。そういえば一体あの後どうなったのだろう。私は最後どうなって。

「これ、飲んで?」

 スコッチはペットボトルの蓋を開けると、再度私に差し出してくれた。ようやくその意味を理解して腕を伸ばすと、視界に水色のパーカーがチラつく。私が眠っている間、どうやら肩に掛けてくれていたらしい。ハッとしてスコッチを見上げると彼はやはり心配そうな顔をしている。

「ん?どうしたの?」

 私は無意識にパーカーを手繰り寄せながら、再度部屋を見渡す。ライは、此処にはいない。バーボンは変わらず窓の外を見つめたまま。

「大丈夫だから、これ飲もう?……ほら、」

 一向に水を飲もうとしない私を見かねて、スコッチがベッドに腰掛ける。その時のベッドの沈み方や圧迫感が怖かった。身体が強張って無意識に後ずさりすると、彼が困ったように眉尻を下げる。

「信じて……何もしないから」

 スコッチは真っ直ぐ私の目を見ていた。分かっている。彼の言葉は本当だ。私だって本当は喉の奥が乾いて仕方がない。何かを口にしなければいけないことも本能的に感じている。でもまた見知らぬ場所へ、見知らぬ男性に囲まれていては身体が震えてきてしまう。

「……ッ」

 急な吐き気も催して思わず身体を曲げた。いやだ、嫌だ。もう帰りたい。頭を左右に振りながら必死に今の状況を拒絶してしまう。

「っ、スコッチ」

 その時、バーボンの声が聞こえた。同時に身体が優しく包まれる感覚も。驚いて顔を上げればスコッチが私を抱き寄せてくれていた。

「大丈夫……もう、大丈夫だから」

 そのまま、私の様子を伺いながら肩を撫でてくれる。優しく、そして私が落ち着けるように何度も。大丈夫だよ、何もしないよと繰り返される優しい声。スコッチに触れられたところから優しいエネルギーが流れ込んでくるようで、自然と身体の強張りが無くなっていく。

「もう大丈夫だよ、安心していいんだ」
「……スコッチ、あまり彼女に」
「分かってる」

 バーボンの制止も聞き入れることはなく、スコッチはそうして私を撫で付けてくれていた。その動きに合わせるように呼吸を繰り返していると、冷静さが戻ってくる。大丈夫かい?、とスコッチは言うと徐にペットボトルを手の取りそれを私の目の前で飲んでみせた。

「っ……ね?ほら大丈夫。ただの水だ。だからこれ飲んで?」

 ゆっくりと口元に当てがわれていくペットボトルの飲み口。その感覚にライとの出来事が思い出された。

 ーそういえば私、まだ生きている。

 今更ながらに気づいた事実に頭が混乱する。でも口元に僅かな水分を感じた瞬間、何も考えられなくなった。

「ゆっくり……」

 抑えていた感情が溢れるかのように、必死に水をせがんでしまう。

「急には、よくないから、少しずつ」

 スコッチに飲むペースを調整されているけれど、顎を上げて無理に飲もうとしてしまう。上手く飲めなかった分は口から零れていった。まだ足りない、まだ足りないと私が喉を動かしと、それに待ったをかけるようにスコッチはペットボトルを離していく。そうしてまたゆっくりと口元へ当てがわれるのの繰り返し。徐々に細胞の一つ一つへ水分が浸透していくような感覚に涙が出そうになった。

「実はライがツテを辿って医者を探してくれたんだ。もうすぐ来るみたいだけど、それまで頑張れそうか?」

 スコッチの問いかけの意味をすぐには理解出来なかった。医者、に? 本当に医者に診せてくれるのだろうか。その真偽を確かめたくて彼を見上げていると、笑って頷いてくれる。

 自分の限界なんて分からなかったけれど、確かになった希望に身体の奥深くから力が漲ってくるようだった。どういう訳か分からないけれど、今、彼らは私を助けようとしてくれている。私が頷いて答えるとスコッチは優しく、背中を撫でてくれた。

「それにしてもライは一体、どんなツテがあるっていうんでしょうね」

 バーボンは腕組みをしながら、そう言って私の方へ視線を向けた。私の存在を良く思っていないような、一つ大きな壁が隔たっているようで上手く目を合わせられない。

「今はライに任せるしかないよ。彼はこの国に住んでいたことがあるんだろう?」
「さあ、それもどこまで本当か」
「現にライのおかげであの場を切り抜けられている」
「……そもそも見張りだったアイツが地下に来たことが間違いだったんです」

 そう言いながら、バーボンが近づいてくる。

「ただまぁ、奴はあなたを生かすことに変更した」

 バーボンの疑い深い目線に私は堪らず下を向く。

「その事実は変えられない」

 ライはあの場では私を消すつもりだったように思う。私もそれを覚悟していた。薬だって、飲んだはず。

「そういえば薬はどうしたんです?まさか飲まさていなかったのか?」
「……っ」
「いや、確かにあなたは飲み込んでいたように見えた」
「バーボン、彼女が怖がってる」
「……ああ。でも、一度消そうと決めた目撃者を今は助けようとしているんだ、理解し難い行動ですね」
「ライは、ああ見えてきっと優しいんだと思う」
「……は?」

 すると部屋のドアが二回ノックされる音に、全員が息を止める。バーボンが確認しに行くと、そこにはライがいた。

「目を覚ましたのか」

 ライは私を見ながらそう言う。あの部屋で見た時と少し雰囲気の違うライに少し驚いた。なんというか、普通の人に感じられた。私が小さく会釈をして返事をすると、彼は部屋に入ってくる。

「あと数分で医者が到着する。意識があるのなら話は早いな」
「ありがとう、ライ」

 スコッチが私の状況をライに説明している間、バーボンはとても居心地が悪そうに二人を見ていた。

「医者の話、本当だったんですね。にしても、どうして貴方はそんなことができるんですか、ライ?」
「……この国での立ち回り方を俺は熟知している。これくらい造作もない」

 ライはバーボンを軽くあしらいながら、そうして次に私を見た。その瞳が静かに細められ、また妙な緊張感が戻ってくる。やっぱり彼には独特な強いオーラを感じる。

「それと、分かっているだろうバーボン?」

 ライの言葉にスコッチは心当たりが無いようだった。どういうこと?とバーボンを見つめている。

「約束通り医者が来るんだ。スコッチを連れて此処から出ていってくれ」

 ライはそう言いながらベッドの脇までやってくる。私を見下ろしている瞳からは真意が全く読み取れない。

「診察中、俺たちは席を外せと?」
「部外者は受け付けない闇医者だ。妙なトラブルになるよりマシだろう。食料の買い出しにでも行ってきてくれ」

 そう言われたスコッチは不服そうだった。ということは今からライと二人になるのだろうか? その状況を考えると嫌な汗が湧き出てきた。でもバーボンの反応を見る限りこれは決定事項のようだった。

「俺が医者を呼びつけた。感謝はされてもそんな瞳を向けられる筋合いはないと思うがな、スコッチ」

 ピリついた空気が二人の間に漂っている。でもスコッチが先に折れたみたいだ。

「ライ、もし彼女に何かしたたら……」
「ホォー?随分なことだな、好みの女だったか?」
「っ、せっかく生かした情報源だ。衰弱している彼女に手荒な真似はして欲しくない」

 適切な治療だけを、とスコッチは念押しする。その後、バーボンがスコッチに目配せするようにして二人は部屋を出て行った。振り返りもしない二人の背中を追うように見つめていると、ライが静かにドアを閉めにいく。

 ーな、に……?

 ライは暫く、気配を消してドアの向こうに耳を傾けていた。そうして車のエンジンが掛けられると窓際に立ってその様子をじっと見つめていた。その行動はとても、仲間に対するものには見えなかった。ライは相当、疑い深い人なのかもしれない。

 ーあっ……。

 不意にライと目があって私は思わず後退りした。でも、ライはそんな私を気にすることもなく、今度は部屋中を物色し始める。カーテンの裏から引き出しの中。そして私が座るベッドの方へ来ると、しゃがみ込んでベッドの裏側まで。何かを探っているようだった。

「……無いな」

 独り言のように吐き出されたその声は、今まで聞いたライの声音とは全く違う。え?、と聞き返したくなるほど、温かみのある声だった。

「大丈夫か?」

 声を顰めながら私を伺う声に、思考が停止する。え?今、ダイ、ジョウ……ブカ、と言った?俄かに信じ難いその言葉を、頭の中で繰り返すけれど、私は言葉を失ったかのようにただ口を開けてライを見つめるばかり。

「悪いが、あの場ではこうする他なかったんだ」

 今度はそう言いながら、ライは床に片膝をつく。全く理解できない状況に、私は息をするのも忘れていた。慌てて短く、はっと息を吸いながら私はライを見つめることしかできない。

「君に飲ませたものは睡眠薬だ。そうして地元警察に保護させる算段だったが、状況が変わった」
「……っ」
「あの場に残しておけなくなった」

 そう言って差し出されたのは市販のゼリー飲料。

「今はこれぐらいしかないんだが、飲めるか?」

 安堵なのか私の目には涙が溜まり始めていた。ライの優しさを感じて驚いてしまったのかもしれない。でも咄嗟に首を横に振って、必要ないと拒否していた。ライは眉尻を少し下げて、困ったように息を吐く。

「詳しい事情は話せないが、君はもう助かる。無事に日本へ帰れるだろう。だがその前に力尽きてしまっては困る」

 今の私には、銃を扱う三人が何者なのかは見当もつかない。でもライが私を心配してくれている、助けようとしてくれていることだけは確かだ。

 ライの優しげな瞳に気持ちも緩んでいく。ゆっくりとした動きで手を伸ばすと、ライがゼリー飲料を開けて手渡してくれた。握ろうとしたけれど力が入らなくて困っていたら、ライが見かねてベッドに乗り上げた。さっき、スコッチがしてくれたのと一緒。

「それでいい」

 ゼリー飲料を口元へ当てがわれて私は数回喉を動かした。甘味がすごく美味しい

 ーああよかった、これでいいんだ。

 よく分からないけれどとても嬉しくて、私は歯で噛むようにそれに口つけた。必死に喉を動かして、飲み進めていく。乾いた食道を、胃を、常温の液体が流れていく感覚が広がっていく。知らず知らずのうちに涙も頬を伝っていく。そうして味わう暇もなく飲み干すと、ライが優しく髪を撫で付けてくれた。